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七尾祇園祭

【七尾祇園祭(ななおぎおんまつり】

◇と き:7月第2土曜日
◇ところ:七尾市街地東部

■ 七尾祇園祭とは
 青柏祭で知られる七尾市大地主神社(山王神社)の夏祭りで、毎年7月の第2土曜日に行われます。
祭り当日は、神輿により御祭神(牛頭天王:印度祇園精舎の守護神、須佐之男命:神道と習合)を湊町の仮宮へ遷座することから「納涼祭」「おすずみ祭」とも呼ばれます。この御祭神に奉灯を奉納しさらに神社へ先導役を勤めます。能登地方には200を超える奉灯(キリコ)祭が行われます。七尾祇園祭の奉燈は明治期は高さ12 m~18m能登最大の巨大な奉灯でしたが、明治43年に七尾市内町に電線が張られたことにより、近隣の石崎村に譲られました。石崎奉燈祭は旧暦の6月15日に行われていましたが、現在は8月第1土曜日に行われ大変勇壮で華やかです。
 その後は、にわか奉灯を担ぐようになりましたが、昭和36年より全町よりキリコ奉灯に統一し、笛・鉦・太鼓の奉灯囃子を取り入れいっそう賑やかになりました。

■祭りの由来
神社名は古くは祇園牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)とよばれ、清和天皇の平安時代、厄除神(きじょしん)防疫神(ぼうえきしん)として全国に祇園信仰が興隆されたころ、京都祇園を能登に勧請して毎年6月14日(明治の改暦で7月となる)七尾祇園会を行ったのがこの祭りの起源です。
 当時の社殿は今の鍛治町安楽寺境内にあり、戦国時代天正5年七尾城落城のとき兵火にあいましたが天正6年(1578年)の棟礼が今も神社に残っています。 江戸時代の寛永12年(1635年)社殿を旧社地から今の山王町へ移し、明治15年(1882年)山王神社と天王社の両社を合わせて現在の大地主神社に改めました。
 この祭りは、古い伝統といろいろの習慣が伝承されていますが、ヤッソーヤッサーのかけ声も元気に竹をつないで町内を練り歩く子どもの行列は、悪疫から守る病魔よけとして行われたのがはじまりで昔は女人禁制で男児だけでしたが戦後から女児も参加を認められました。
 またこの年に男子出生、初子誕生、家屋新築、嫁婿迎えなど慶賀のあった家では町内の奉灯へ祝酒を出す慣例で、このときに若衆がはやすシューガ・カーガ・チョウチン、ヤットコセーは「祝賀加賀、長久弥栄」という加賀藩時代の祝唄です。

■祭りのみどころ
◎この祭りには氏子町内から大小11基のキリコ奉灯が出ます。
 明治以降、電灯線のため大きさが制限されましたが大奉燈(3台)は高さ12m、重さ1トン余りの豪壮なもので、各町奉燈は50人余りの若衆連にかつがれ笛、鐘、太鼓の囃子児が揃いの姿で乗り込み、奉燈の運行は赤タスキの指導者の合図で疾走、徐行、停止など太鼓の速度にあわせて調子をとります。その指揮者の統率ぶりと、かつぐ人の和が各町の奉燈の見せどころです。

◎ 夕闇がせまると一斉に各奉燈が奉灯ばやしも賑やかにかつぎ出されます。
 夜8時半分頃には全奉灯は湊町仮宮前に集結、夜9時30分頃神輿が湊町から神社へ帰るとき1番から11番の順番で神輿を先導し湊町一丁目、鍛治町、郡町通りを経て山王神社へ入りますが山王境内ではかがり火が炎をあげ、競い合う奉灯ばやしなど祭りの最後をかざる光と音のクライマックスが壮観で深夜まで多くの観衆を集めています。